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レビュー(Amazon.co.jp)
???パリからフランスを縦断して南仏に向かう、フェルディナンとマリアンヌ。マリアンヌは彼をピエロと呼び、彼は「違う、フェルディナンだ」と答える。パリを去るのは日常の悪夢から脱出するため。だが、南仏に何があるのだろうか? 冒険活劇漫画『ピエ・ニクレ』を携え、愛と永遠を求めてさすらう2人。だが、青春は常にアナーキーで、暴力的で、犯罪に彩られていた。2人のささやきはランボーの詩。「見つかった」「何が?」「永遠が」…。
?『勝手にしやがれ』で、映画と青春の新しい波「ヌーヴェル・ヴァーグ」の誕生を告げた鬼才ジャン=リュック・ゴダールが、長編劇映画10作目にして頂点を示した作品だ。全編シナリオなし、即興演出で撮影し、「それは冒険映画だった」「それは愛の物語だった」と言われるような作品となった。(アルジオン北村)
???パリからフランスを縦断して南仏に向かう、フェルディナンとマリアンヌ。マリアンヌは彼をピエロと呼び、彼は「違う、フェルディナンだ」と答える。パリを去るのは日常の悪夢から脱出するため。だが、南仏に何があるのだろうか? 冒険活劇漫画『ピエ・ニクレ』を携え、愛と永遠を求めてさすらう2人。だが、青春は常にアナーキーで、暴力的で、犯罪に彩られていた。2人のささやきはランボーの詩。「見つかった」「何が?」「永遠が」…。
?『勝手にしやがれ』で、映画と青春の新しい波「ヌーヴェル・ヴァーグ」の誕生を告げた鬼才ジャン=リュック・ゴダールが、長編劇映画10作目にして頂点を示した作品だ。全編シナリオなし、即興演出で撮影し、「それは冒険映画だった」「それは愛の物語だった」と言われるような作品となった。(アルジオン北村)
カスタマーレビュー
おすすめ度:
不毛なる愛の逃避行が空しい
(2008-10-20)
人間世界の不毛を描き続けた映像作家ジャン=リュック・ゴダールが即興で撮ったという一編。いささか一部の凡庸なシーンが長すぎるきらいはあるものの、ほぼすべてのシーンがツボにはまっていて実に絵になっています。
ジャン=ポール・ベルモンド扮するフェルディナンとアンナ・カリーナ扮するマリアンヌの何を求めているのか自分たちにもわからない不条理さ。それにくわえて妄想まるだしで喋りまくる富豪の老婆や実際に奏でられているはずの無い音楽が絶えず聴こえる哀れな男など、他の登場人物も空しく無駄に時を過ごしていく様がカラフルな映像と虚無感あふれる演出で面白くつむがれていきます。
ただひたすらに何かから逃げまくるカップル。ゴダールはその一見無謀な逃避行から何かを見出そうとする根無し草となった人々を巧みに“気狂いピエロ”にしたてて、生の無常、社会の虚無をスマートに、哀れに、時に可笑しくあぶりだすことに成功しているといえるでしょう。
後半、いささか陳腐で安易な犯罪映画的ドンパチ(これもゴダールが好きな映像モチーフではあるのですが・・・)があり、このあたりで少し興ざめしてしまいますが、そんな弱点もフィルム本来の主張であると思われる虚無さを出すためのふざけたギミックであると理解すれば比較的すんなりと受け入れることができるでしょう。
ベルモンドのどこか影の薄いだめ男ぶり、カリーナのいたずらっぽい美しさが心に染み渡ります。また、B級映画の達人サミュエル・フラー監督のゲスト出演と「映画は戦場だ!」という映像哲学にまつわるコメントはファンにとっては嬉しいばかり。
それにしてもゴダール監督は拷問シーンが好きですね。特にシャワー室でのが。
アンナ・カリーナ魅力的すぎて怖いな
(2008-05-10)
ときどきこの映画がよくわからないという人がいるが、非常にシンプルにアンナ・カリーナを撮りたかったのだと思う。女性に点数をつけるのは失礼だが、あえてさせてもらえば、アンナ・カリーナのこの映画でのあり方は完璧であると思う。平気で嘘をつく。裏切る。それがわかっていても愛さずにはいられない。普通、そういうことがわかった段階で男は去るものである。しかし、そうすることができない女がごくまれに存在する。アンナ・カリーナは綺麗だが、絶世の美女というわけではない。でも男に愛されるのにそんなものは大して重要じゃない。この作品は男を虜にするには何が大切かを垣間見せてくれると思う。ただ、男が本当に愛した時は案外フェルナンドみたいなものかもしれない、女性の期待とは違って。この作品を見ていて谷崎の痴人の愛を妙に思い出します。
テーマは生みの苦しみです。
(2008-03-02)
この映画も何回も観れる映画です、変ですか?これは、監督が映画を生む苦しみを綴っています。綴っているだけなので、基本的に逃避行ですし、生むために変わったことをしてみると言う比喩もありますし、何か思いついて少し安心する、でもまた次の瞬間には全てを否定して苦しんで逃避行をしている。アイデアを探る旅、逃避行の旅、思いつく、喜ぶ、考え直す、落胆し怒り狂う、本や詩、絵画からヒントを得ようとする、また旅をするそれもかなり、無鉄砲な旅。なんだかよく分かります。その繰り返しで新しい作品が生まれる。投げやりになってビルから飛び降りるまねをしていたら、ホントに間違って足を滑らせ、。「そんな馬鹿な!そんなことって!」という焦りの最後の言葉を残して転落して死んじゃった、ネタばれになるので、他のもので簡単に例えるととすると、そんなストーリーです。ものを生もうとする監督の苦しみです。フェリー二も、8と1/2で、生みの苦しみの映画を撮っています。クリエイティブというのは、自己との戦いでもあり、逃げ出したくなる時があるようですね。ストーリーはそんなつまらないストーリーなのですが、断片的な心象風景の比喩になっているのと、その比喩がとても洒落た比喩なので、そのせいもあり、何度でも見れる映画です。まあ、生みの苦しみなんて、そのまま撮られても困るので、その手法は大成功です。。手法的には北野武もここからヒントを得ているようです。どの映画かは言いませんが、。アンナカリーナは魔性的に綺麗だし、ベルモンドもカッコいいです。そうそう、ゴダールはホント車好きですね。難しいことを考えて観るも良し、ボーっと洒落たシーンを眺めるも良し、いろいろ用途が広い映画ですよ。傑作。
また 見つかった なにが? 永遠が
(2007-05-03)
ラストシーンに海の情景。ランボーの『永遠』の訳詩が流れる。
この詩の訳は、中原中也、小林秀雄など何人かいるが、この映画の翻訳も悪くない。
ランボーもまた南仏の海岸で、海に溶かされる夕陽を見たのだろうか。
池袋で映画を見てから四十年近く過ぎたが、ベルモンドのみじめな顔と流れる詩が忘れがたい。
映画の持つ切なさと激しさを体感出来る傑作。
(2007-01-02)
映画の序盤、映画監督のサミュエル・フラーが語る。
「映画とは何か?映画は戦場のようなものだ。愛、憎悪、アクション、暴力、死、つまり、ひとことで言えばエモーショナル(感動)だ!」と言う言葉が全てを言い尽くしている、映画の持つ切なさ、激しさが体感できる傑作。
ベラスケス、プルースト、ブラウニング、バルザック、チャンドラー、ヴァレリー、、、ありとあらゆる芸術家や作品への引用が氾濫する一方、極めてハリウッド的なフィルム・ノワール、ミュージカル、恋愛、スラップスティックな遊戯がパロディの如く 漫然かつ跳梁的に続く展開。赤、青、緑と原色が目眩むような色彩感覚に、ラストのランボーの詩そのままに美しいラウール・クタールのカメラ。この1作で映画ファンの間では生涯忘れえぬ存在になったJ・P・ベルモンドとアンナ・カリーナ。
理屈っぽく論じるのも良し、オシャレで超クールな感覚を楽しむのも良し、そして、ストーリーを追うのは止めて、ただ感性を研ぎ澄まして感じるのも良し、映画を観ることの幸福感と、映画ファンであることの歓びが実感できる。
おすすめ度:
不毛なる愛の逃避行が空しい
人間世界の不毛を描き続けた映像作家ジャン=リュック・ゴダールが即興で撮ったという一編。いささか一部の凡庸なシーンが長すぎるきらいはあるものの、ほぼすべてのシーンがツボにはまっていて実に絵になっています。
ジャン=ポール・ベルモンド扮するフェルディナンとアンナ・カリーナ扮するマリアンヌの何を求めているのか自分たちにもわからない不条理さ。それにくわえて妄想まるだしで喋りまくる富豪の老婆や実際に奏でられているはずの無い音楽が絶えず聴こえる哀れな男など、他の登場人物も空しく無駄に時を過ごしていく様がカラフルな映像と虚無感あふれる演出で面白くつむがれていきます。
ただひたすらに何かから逃げまくるカップル。ゴダールはその一見無謀な逃避行から何かを見出そうとする根無し草となった人々を巧みに“気狂いピエロ”にしたてて、生の無常、社会の虚無をスマートに、哀れに、時に可笑しくあぶりだすことに成功しているといえるでしょう。
後半、いささか陳腐で安易な犯罪映画的ドンパチ(これもゴダールが好きな映像モチーフではあるのですが・・・)があり、このあたりで少し興ざめしてしまいますが、そんな弱点もフィルム本来の主張であると思われる虚無さを出すためのふざけたギミックであると理解すれば比較的すんなりと受け入れることができるでしょう。
ベルモンドのどこか影の薄いだめ男ぶり、カリーナのいたずらっぽい美しさが心に染み渡ります。また、B級映画の達人サミュエル・フラー監督のゲスト出演と「映画は戦場だ!」という映像哲学にまつわるコメントはファンにとっては嬉しいばかり。
それにしてもゴダール監督は拷問シーンが好きですね。特にシャワー室でのが。
アンナ・カリーナ魅力的すぎて怖いな
ときどきこの映画がよくわからないという人がいるが、非常にシンプルにアンナ・カリーナを撮りたかったのだと思う。女性に点数をつけるのは失礼だが、あえてさせてもらえば、アンナ・カリーナのこの映画でのあり方は完璧であると思う。平気で嘘をつく。裏切る。それがわかっていても愛さずにはいられない。普通、そういうことがわかった段階で男は去るものである。しかし、そうすることができない女がごくまれに存在する。アンナ・カリーナは綺麗だが、絶世の美女というわけではない。でも男に愛されるのにそんなものは大して重要じゃない。この作品は男を虜にするには何が大切かを垣間見せてくれると思う。ただ、男が本当に愛した時は案外フェルナンドみたいなものかもしれない、女性の期待とは違って。この作品を見ていて谷崎の痴人の愛を妙に思い出します。
テーマは生みの苦しみです。
この映画も何回も観れる映画です、変ですか?これは、監督が映画を生む苦しみを綴っています。綴っているだけなので、基本的に逃避行ですし、生むために変わったことをしてみると言う比喩もありますし、何か思いついて少し安心する、でもまた次の瞬間には全てを否定して苦しんで逃避行をしている。アイデアを探る旅、逃避行の旅、思いつく、喜ぶ、考え直す、落胆し怒り狂う、本や詩、絵画からヒントを得ようとする、また旅をするそれもかなり、無鉄砲な旅。なんだかよく分かります。その繰り返しで新しい作品が生まれる。投げやりになってビルから飛び降りるまねをしていたら、ホントに間違って足を滑らせ、。「そんな馬鹿な!そんなことって!」という焦りの最後の言葉を残して転落して死んじゃった、ネタばれになるので、他のもので簡単に例えるととすると、そんなストーリーです。ものを生もうとする監督の苦しみです。フェリー二も、8と1/2で、生みの苦しみの映画を撮っています。クリエイティブというのは、自己との戦いでもあり、逃げ出したくなる時があるようですね。ストーリーはそんなつまらないストーリーなのですが、断片的な心象風景の比喩になっているのと、その比喩がとても洒落た比喩なので、そのせいもあり、何度でも見れる映画です。まあ、生みの苦しみなんて、そのまま撮られても困るので、その手法は大成功です。。手法的には北野武もここからヒントを得ているようです。どの映画かは言いませんが、。アンナカリーナは魔性的に綺麗だし、ベルモンドもカッコいいです。そうそう、ゴダールはホント車好きですね。難しいことを考えて観るも良し、ボーっと洒落たシーンを眺めるも良し、いろいろ用途が広い映画ですよ。傑作。
また 見つかった なにが? 永遠が
ラストシーンに海の情景。ランボーの『永遠』の訳詩が流れる。
この詩の訳は、中原中也、小林秀雄など何人かいるが、この映画の翻訳も悪くない。
ランボーもまた南仏の海岸で、海に溶かされる夕陽を見たのだろうか。
池袋で映画を見てから四十年近く過ぎたが、ベルモンドのみじめな顔と流れる詩が忘れがたい。
映画の持つ切なさと激しさを体感出来る傑作。
映画の序盤、映画監督のサミュエル・フラーが語る。
「映画とは何か?映画は戦場のようなものだ。愛、憎悪、アクション、暴力、死、つまり、ひとことで言えばエモーショナル(感動)だ!」と言う言葉が全てを言い尽くしている、映画の持つ切なさ、激しさが体感できる傑作。
ベラスケス、プルースト、ブラウニング、バルザック、チャンドラー、ヴァレリー、、、ありとあらゆる芸術家や作品への引用が氾濫する一方、極めてハリウッド的なフィルム・ノワール、ミュージカル、恋愛、スラップスティックな遊戯がパロディの如く 漫然かつ跳梁的に続く展開。赤、青、緑と原色が目眩むような色彩感覚に、ラストのランボーの詩そのままに美しいラウール・クタールのカメラ。この1作で映画ファンの間では生涯忘れえぬ存在になったJ・P・ベルモンドとアンナ・カリーナ。
理屈っぽく論じるのも良し、オシャレで超クールな感覚を楽しむのも良し、そして、ストーリーを追うのは止めて、ただ感性を研ぎ澄まして感じるのも良し、映画を観ることの幸福感と、映画ファンであることの歓びが実感できる。
